喜多院は、慈覚大師(794〜864年)という非常に位の高い僧によって830年に創建された天台宗の名刹。
歴史的に価値のある建物や美術・工芸品を数多く有し、また素晴らしい庭があることで有名だ。
桜と紅葉の名所でもある。
少し喜多院の歴史について語る。
創建から長らくは無量寿寺という名前の寺であったが、1612年に高僧の天海僧正が住職となった際、喜多院と寺名が改められた。
天海僧正は、徳川幕府の創始者で絶大な権力を持っていた徳川家康(1543〜1616年)から大きな信任を得ていたため、喜多院は徳川幕府にとって特別な存在となった。
1638年に起きた川越エリアの大火で喜多院の建物はほぼ全てが焼失してしまうが、当時の将軍であった徳川家光(1604〜1651年)はすぐさま喜多院の再建にとりかかり、そして江戸城にあった別殿を移築して、喜多院の客殿と書院等としたほどの厚遇を見せた。
なお、この客殿と書院は、江戸城にあった際は、それぞれ「徳川家光の誕生の間」であり、女性の権力者として日本人の間では有名な「春日局の化粧の間」であった。
※1657年に江戸城が焼失したため、この喜多院の客殿と書院が、創建時の江戸城の唯一の遺構となっている。
境内にある五百羅漢は、1782年から約50年間にわたり建立されたもので、表情の豊かな石の仏像が538体も鎮座している。